ひきこもりなどでドロップアウトした人へ~同世代と比べて出遅れる親以外の原因~

僕は、自閉症スペクトラムで大学院在籍中に行き詰ってうつ病で入院し、障がい者雇用からの再チャレンジで10年かけて正社員登用を勝ち取った人間です。自分の能力は親などから受けた教育投資でほぼ決まってしまうと以前に書きましたが、仮に親に問題がなかったとしても同世代と比べて出遅れてしまうことがあります。その例を2つ挙げてみようと思います。

ウサギタイプとカメタイプ

 ウサギとカメという有名な寓話にあるように、人はウサギタイプとカメタイプに分かれると思います。僕はこのウサギタイプとカメタイプの性格の分かれ目は、考えるよりも先に体が動くか、考えてからでないと体が動かないか、ではないかと考えています。ウサギタイプの人は、考える前に先に体が動くので幼少期より活発で、結果的に身体能力が高くなりやすいのです。小学校などでは運動能力が高い子がモテるし、リーダーシップを発揮しやすいので、明るくて元気な人が多く、失敗を恐れず積極的に挑戦する(というか考えなしにやってしまう)ので、その分成長が早い早熟タイプです。一方でカメタイプは、考えてから行動するので活発ではなく身体能力が低くなりやすく、消極的というか失敗を恐れてしまうところがあります。また、挑戦できずに成長の機会を失いがちで、その結果自己肯定感が低くなってしまう人がいます。ですが、きちっと考えて着実に行動できる特性を発揮すれば、ウサギタイプ以上の能力になる大器晩成タイプになります。

ウサギタイプの特徴:幼少期の身体能力高め、積極的、明るい、楽観的

カメタイプの特徴  :身体能力低め、消極的、草食系

性格的にウサギタイプの人の方が自己肯定感が高くなる傾向があり、カメタイプの方はきちんと努力しなければ自己肯定感が低いままになってしまう人が出てきます。自分という基準で見ているとウサギタイプの明るく積極的な人に対して劣等感を持ってしまいますが、ウサギとカメの寓話にあるようにコツコツと努力できれば高確率でウサギタイプに勝てるようになります。受験勉強などの長期的スパンでの取り組みを問われるような場合に、カメタイプは非常に強いです。人と比べて落ち込むのではなく、自分の特性を知り、努力して欲しいと思います。

 

早生まれ

 誕生日が1~3月の人(早生まれ)は、同学年の4~6月生まれの人と比べて成長が遅れている確率が高くなります。この差は個人差があるとはいえ小学校くらいまでは顕著な差が平均値を取るとあります。学校に入学した時点で身体能力・体格・学力・コミュニケーション力に差があると、リーダーシップを発揮したりする経験などの差が拡大し、そのハンディは人生に大きな影響を及ぼすこともあります。僕に関して言えば、運動能力においては差を痛感していました。学校では1学期に体力測定をするのですが、小学校高学年から中学3年まで50m走のタイムが毎年1秒ずつ早くなりましたから、2月の下旬生まれの僕が4月生まれの人と同じ年齢だったら体育の成績はもっと良かったことになります。成績のいい科目を勉強するのが楽しいように、自分が優位なものはモチベーション高く学ぶことができるようになるでしょう。それが自信につながるという好循環になります。

 実際に平均値のデータを見ると、入学する高校や大学の偏差値にも差があり、当然年収にも差があります。早生まれの人は「自己肯定感が低い」、「うつ病になる」「自殺する」確率が高くなります。これは早生まれは不利だからあきらめろと言っているのではなくて、劣等感を感じている早生まれの人に、自分を責める気持ちを転嫁して心を楽にし、あらためてそのハンディを埋めるために頑張ろうよと励ますために書いています。自分の人生がうまく行かなかったのは自分の努力が足りなかったからではなく、自分の障害のせいだったと思うような感じです。

 また、4~6月生まれの人を責めるものでもありません。成長のスピードは個人差があります。私の姪っ子などは、幼少期から活発すぎるくらい活発で小学校入学時点での身体能力は並外れていました。小さい頃の運動量を見ていると、こういう子供がスポーツに打ち込むとプロになるのかと納得しました。

 

ここでは親の教育投資以外の原因で、同世代と比べて出遅れてしまう原因を2つ挙げました。こうした「努力不足」で片付けられない原因があることを理解し、その上で努力しようよと僕は言いたいのです。今までの自分は変えられませんが、これからの自分は努力次第で変えていくことができると思います。

自閉症の人が自分の枠を拡げていくには

僕は、自閉症スペクトラムで大学院在籍中に行き詰ってうつ病で入院し、障がい者雇用からの再チャレンジで10年かけて正社員登用を勝ち取った人間です。この記事では自閉症で苦しんだ過去の自分の振り返りと、自分の枠を拡げていくために必要なことの結論のみを提示しています。具体的にどうするという話はまた後日記事にする予定です。その記事に向けての序論になりますので、この記事単体だけでは有意義な情報は少ないと思います。

自閉症スペクトラムの人というのは、遺伝的な要因と環境的な要因でそうなると言われています。こだわりが強く、興味の対象が少なかったりします。社会で生きていくためにはある程度の世界の広さ、自分の枠の広さが必要になります、というか必要になってきているのです。1980年代くらいまでは、たとえば電車の切符を切るとか、何かの工芸品を作るだけ、というようないわゆる職人と言われるような、今では機械化されていて仕事にならないような仕事があり、生きる世界が狭くても生活していくことはできたのです。ですが今の社会では、コミュニケーションスキルであったり、仕事であればパソコンでソフトウェアを使いこなす必要があったり、英語のスキルが必要になったりと生きていくために求められる能力が幅広くなっています(家電製品の進歩で家事に求められるスキルが低下していたりもしますが)。そうした能力を身につけるためには、外の世界に興味を持ち、色々なことを経験することが大事になりますが、自閉傾向がある人だと意識が内に向いていて興味の対象が少なくなりがちで、結果的に能力が高まらず、どこかの段階で能力が足りずにドロップアウトしてしまう確率が高いのです。もちろん興味やこだわりの強さが幸いして能力を発揮し、成功する人も一部ではいますし、そうした天才が人類を進歩させてきた側面はありますが、そうした例は少ないです。

自閉症の人の世界の狭さを説明するために僕を例に出します。僕は小さいころは、ジグソーパズルを延々とやっていました。ジグソーパズルの絵柄に飽きると裏返して絵柄を見ずに完成させるといった遊びをしていました。他にも新聞の折り込みチラシの白紙の裏面に非常に細かい迷路を延々と描いていたそうです。小学校時代以降大学時代までは、ロールプレイングゲームばかりに熱中していました。学校・部活・ゲームのみという非常に狭い興味の世界の中で生きていました。ただ、学校の成績、正確に言うとテストで点を取る能力だけは高かったので自分には能力があるのだと勘違いしていました。

自分が勘違いしていたことに気づいたのは25歳の時、例えるなら自分の家の庭が世界のすべてだと思っていたのに、突然世界の広がりのすべてが見えるようになったような感覚です。こんなにも広い世界を生きていかなければならないのか、自分にはとても生きていく力はないというとてつもない衝撃を受けたのを覚えています。大学の研究室で私の状態が悪化して、恩師が実家まで車で送ってくださった時の場面を覚えています。先生が車を運転中に「あそこに白い花が咲いているけれど何かわかるか」というような質問をされました。僕は「わかりません」と答えました。「あれはユキヤナギというんだよ」と先生。僕は「そんなことも知らずに生きてきたのか」とショックを受けました。ユキヤナギというのは自分の実家に植えてあった植物で、その名前すら知らないくらい外の世界に興味を持っていなかったのです。他にも母は、私が風呂に入ると洗面所にバスタオルを用意してくれていました。世界の広さを自覚する前は、それが普通だと思っていたのですが、自覚した後は自分が一人前に生きていたつもりだったのに母親の助けがないと生きていけない人間なのだとショックを受けました。何を見ても何をしても自分の生きる力のなさにショックを受けるばかりで、結局精神病院に1年半入院することになったのです。僕の場合のように大人になってから自分の世界の狭さに気づくことは非常に危険です。これまでの自分のものの見方がいかに間違っていたかを突き付けられ、場合によっては自殺してしまうこともあるかもしれません。

社会で生きていくためにはある程度の世界の広さ、自分の枠の広さが必要になります。自分の枠を広げていく努力が必要になってくるのですが、それは精神的にかなり辛いものです。狭い枠の中で生きていると、その中では自分は立派な人間だと思えるかもしれません。ですが自分の枠を広げていくと、その都度に自分のできない点・短所があらわれてきます。自分がいかに無能な人間かということを痛感し続けながら、それでも自分の人生を良くするためにはこの方法しかないと信じて枠を広げる努力を続ける強い心の力が必要になってきます。

では自分の枠を拡げるにはどうしたらいいか?それは人に拡げてもらうのが一番です。自分と話が合う人とだけつきあうのではなく、それ以外の自分の枠の外にいる人と出会うことです。他の人が面白いと思うことを一緒にやってみるとかでもいいのです。ただ、それをできるようになるためには、越えなければならない課題があります。それは

一緒にいる相手を不快にさせない人になり、さらには一緒にいて居心地のいい人になること

です。難しいことだとは思います、特にいじめなどを受けてドロップアウトしたような場合は、自分の存在が悪いもののように感じられてしまいます。自己肯定感が低い状態では人が怖くて仕方なくなります。悪い方に悪い方に考えてしまうのです。そうした負の感情を克服し、自分を肯定できるようになれば、相手を肯定できるようになり、結果人から受け入れられるようになります。そうしたプラスのスパイラルに入ることができると、自己肯定感が高まっていき、人の輪の中に入っていくことができるようになると思います。学校生活でドロップアウトしたような場合は、逆に大人たちの輪の中に入っていってもいいと思います。若くて未熟でも受け入れてかわいがってくれたり、いろいろなことを教えてくれるような人がいる場がきっとどこかにあると思います。そうした場を探して試行錯誤してほしいです。

同世代と比べて劣っているからといって、人として劣っているわけじゃない

僕は、自閉症スペクトラムで大学院在籍中に行き詰ってうつ病で入院し、障がい者雇用からの再チャレンジで10年かけて正社員登用を勝ち取った人間です。僕は、一般就労できたのですが、社会からドロップアウトした人(精神障がい者やひきこもり)が普通に働けるようになるというのは、非常に難しいことだと痛感しています。

ドロップアウトした原因はさまざまだと思います。人間関係でうまく立ち回れなかったり、人と自分を比べて落ち込んだり、いじめであったり、勉強についていけなかったり、、そして、一旦ドロップアウトしてしまうと自分を高める場を失ってしまうので、復帰することはますます難しくなります。ここでまずお伝えしたいことは

自分の能力は、それまで親などから受けてきた教育投資でほぼ決まってしまう

ことです。一昔前までは、地域社会全体で子供を育てるような社会だったのですが、今は核家族化(両親と子供のみの家庭)とご近所づきあい自体が減っていることもあって、子育てが家庭内で閉じてしまいがちになっています。そうなってくると子育てに不具合があった場合、正してくれる人もいなく、子供に不具合がそのままでてきてしまいます。しかも不具合が出てくるのはある程度成長してからになるので、その時点から修正していくのは非常に難しいです。子供は親の能力を直接的に引き継いでしまうのです。

たとえば親がマナーのしっかりした人だと躾を受けることで親のマナーを受け継ぎます。でも親がマナーを知らない人だと、子供はマナーを覚えることができません、結果人間関係でトラブルを起こしてしまうことになります。ではマナーを知らないのは本人のせいでしょうか、人間関係でうまく立ち回れないのは本人のせいでしょうか?違いますよね。その時点でできていないからといって人として劣っている訳ではないのです、まだ経験が足りないだけの伸びしろがある状態なのです。

他にも、勉強ができるといっても、小さい頃から習い事をしていたり、親が絵本の読み聞かせをしてくれていたり、勉強になるおもちゃなどを買ってもらっていたりしていただけかもしれません。両親共働きで家族以外の人と接することもなくテレビだけを見て過ごすというような環境で育った人ではそうした人に勝ち目はありません。生育環境は自分では選ぶことはできないものであり、結果的に同世代と比べて劣っていたとしてもそれは必ずしも人間として劣っているわけではないのです。

 

社会からドロップアウトした人の就労に向けて

 ドロップアウトした時点で社会との関わりがなくなり、成長が止まってしまいます。社会は高速で進歩しているため、能力が足らずにドロップアウトした場合は追いつくためには相当な努力が必要となります。先ほども申しましたように、ドロップアウトの原因は必ずしも自分の責任ではありません。周囲の環境に適応する水準に『たまたま』自分が達していなかっただけであり、飛び込んだ環境の水準が『たまたま』高すぎただけということもありえます。水準に達していなくてドロップアウトした場合、水準を下げたところから自分を組みなおすことが追いつくための近道になるのだと僕は思っています。人間としての土台からしっかり組みなおしていくイメージです。土台がしっかりしていない状態で高度なことを学んだとしてもすぐに崩れてしまいます。そして土台から自分を組み替えるというのは、本当に時間がかかります。みんなが大学受験用の問題を解いている時に、小学生の算数の問題をやるようなものです。本当に焦ります。ですが、ドラゴン桜(勉強ができない高校生が東大合格を目指す漫画)でも、東大受験まであと1年という段階で数学の勉強ではなく小学生の算数からやり直すというシーンがあるように、それが結果的に近道になるのです。小学校の勉強を理解してはじめて中学校の勉強が理解でき、中学校の勉強を理解してはじめて高校の勉強が理解できるようになります。これは勉強に限った話ではなく、マナーであれ、コミュニケーションスキルであれ、家事であれ、どんなことでも土台からきちんと組んでいけば、ほとんどの人が身につけられるようになると僕は思っています。

 そしてこうした学び直しをする場合は、生活に余裕がなければ難しいと思います。私の場合、実家暮らしということもあり仕事や勉強に専念できる環境にあったこと、障害年金を受給したことで運転免許を取れたり、奨学金の返済の不安を解消できたことなどの支援があってはじめて、社会復帰することができました。自分も努力しましたが、努力できる環境を周囲の人に与えてもらったという感じです。私は社会経験もコミュニケーションスキルも全くない状態でドロップアウトしました。当然、社会で働いていくために何が必要なのかということをほとんどゼロから『学び直し』たのです。そうした経験を言葉にして伝えていきたいと思っています。

ネガティブな自分をポジティブに変えるには

私は、自閉症スペクトラムで大学院在籍中に行き詰ってうつ病で入院し、障がい者雇用からの再チャレンジで10年かけて正社員登用を勝ち取った人間です。自分が病気や障害を克服していく上で気づいたこと・実践してきたことなどを書いていければと思っています。

 私はもともと、ありとあらゆることを否定的に考えてしまう超ネガティブ人間でしたが、今ではポジティブな人間に変わることができました。そのきっかけは、うつ病で苦しんでいる時に

「ネガティブに考えていることで、自分で自分をしんどくさせている」

と気がついたことでした。自分で自分自身に対して「誰々にこう思われているのではないか?」「誰々を傷つけてしまったのではないか?」「嫌われたらどうしよう?」「いくら努力しても人生良くならないのではないか?」と追い込んでしまっていたのです。

こうした問いを自分自身に問うても答えなんて分からない。いくら考えても答えが分からないことに時間を費やすのは無駄でしかない。考えれば考えるだけしんどくなるのだったらますます無駄でしかない

ということに気がついたのです。

 

 ネガティブに考えてしまうのは癖なので変えていくことは簡単ではありません。私は最初、自分の考えが自分をしんどくさせるような方向に流れてしまいそうになったと感じた瞬間に、「あぁっー」「はっ」という奇声を発して一旦白紙に戻すことを習慣づけしました。そしてプラスマイナスゼロにしてから、自分のマイナスの考えの逆の考え方はできないかを探す訓練をしたのです。ネガティブのネガティブ(=ポジティブ)を探すあるいは「マイナスのマイナスはプラス」と私は呼んでいますが、自分の否定的な考えを否定する引き出しを1つ1つ増やしていく努力をしていきました。1つ1つのことに「心を楽にする捉え方はこうだ」という答えを探していくので、もちろん時間がかかります。ネガティブな自分をポジティブに変えていくのは一朝一夕ではできませんが、その努力は必ず報われます。自分一人でできないなら、適切な人に相談して答えをもらって素直にそう考えるように努力するのもありだと思います。

 前向きになれる言葉は、本や漫画、ドラマ、あるいは人付き合いを通して集めることができます。私は、スーパーで働いているのですが、ある人から「在庫の多さはやる気のバロメーター」という言葉を聞いたことがありました。スーパーでは、商品を発注しすぎてしまうと売れ残って値引きになり、利益が残らなくなってしまいます。ですが、商品をたくさん発注するということはそれだけの商品を売ってやるぞというやる気の表れという風にも受け取れるのだなぁと思ったのです。ですからパートさんがちょっと発注しすぎたというような時には、この言葉を持ち出して頑張って売ろうねと声掛けするようにしています。前向きになれる言葉の引き出しを増やすとまわりの人をしあわせにできます。

 心を病む人でありがちな思考を一例として挙げると、例えば誰かと誰かが談笑していた時に、「自分のことを馬鹿にしてあざ笑っているのではないか」と思ってしまったりするのです。実際にそうである可能性はゼロではありませんが、そこを「楽しそうにおしゃべりしているな~」と思うようにするのです。

自分がしんどくなる考え方というのはたとえ事実だとしても間違いで、心が楽になる考え方は事実ではなかったとしても正解

だと言い聞かせています。心が楽になる考え方の引き出しを増やしていく努力は誰でも今この瞬間からできます。時間がかかりますが、幸せになるには一番の近道だと思うので頑張ってほしいです。

 

まとめ

  • 考えても答えが出ないようなしんどくなることを考えるのは時間の無駄
  • 良くない方に考えが傾きそうになったら声を出して発散し、いったん打ち消す
  • 打ち消してから心が楽になる考え方を探す
  • 心が楽になる考え方の引き出しをコツコツ増やす
  • 「しんどくなる考え方=間違い。心が楽になる考え方=正解」と言い聞かせる

被害妄想を乗り越える

被害妄想を乗り越える

私は自閉症スペクトラムで苦しんで、大学院在籍中にうつ病で入院し、障がい者雇用からのリスタートで10年かけて正社員登用を勝ち取った人です。私自身が被害妄想や加害妄想で苦しんできたので、自身の経験から妄想の乗り越え方について思うところを書いてみます。

まずお伝えしたいことは心の病をかかえる人の中には、「相手にこう思われている(嫌われている)のではないか?」とか「相手を傷つけてしまったのではないか?」という不安(妄想)を感じてしまう人がいるんです。人によっては「相手が○○したのはこういう悪意があるからではないか?」という被害妄想を持つ人もいます。

こうした妄想を思い詰めて考えているうちに、どこかで妄想の内容を「確信」してしまうんです。相手に悪意があったという妄想を確信して、後になってある日突然怒り出すなんてことも。なのでこうした妄想が膨らむ前に不安を取り除いていくことが大事なんです。

その上で大事なのは

1不安を感じたら人に聞いてみること

2人の評価を気にしないこと

だと思います。当たり前のことなんですけど心の病を抱えている人にとっては当たり前ではないんですよ。心の中では不安でいっぱいいっぱいなのに周りから気づいてもらえない。私もついつい最悪のケースを想定してしまうところがあったりしますが、実際に人に聞いてみると考えすぎだったことがほとんどです。最近意識しているのは、ちょっとでも相手を不快にさせたかもと思ったら、すぐに「ごめんね」と言って相手からフィードバックを受けることです。最初のうちは実践するのは難しいかもしれませんが、妄想が膨らむ前に断つことを意識するといいと思います。

もう一つの「人の評価を気にしない」ことは、心の持ち方を変えることですね。人の評価を気にして行動するということは、自分の本来やりたいと思うことを抑えつけることです。人の評価を気にして「こうしなければならない」といって自分のやりたいことを抑えつけた行動を取っていると、心にダメージが蓄積されてやがて不具合が出てきてしまいます。また、人の評価を軸に生きていると、自分という軸が失われ、自分がいったいどういう人間なのかを見失ってしまいます。また本当の自分を理解してもらえないことで苦しむことにもつながります。それを乗り越えるためには、自分の本能の声を聴き、その本能の声をかなえることを実践するのです。自分はいったい何をしたいのかという気持ちが分かるようになってから、「自分のするべきこと」を楽しんでやれるように、「するべきこと」と「やりたいこと」が一致するように心の持ち方を変えていくといいと思います。

ここからは心の病で苦しんでいる方にはハードルが高い話をしますが、「人の評価を気にしない」「人の評価を軸にしない」ためにはどのようにしたらいいかというと、それは常にその時々で自分の思う最善を尽くすようにすることです。自分の思う最善を尽くしていれば、後悔する必要がなくなります。なぜならば自分がその時点で最善と信じた選択をしたのであれば、結果その選択が間違っていたとしても、「もっといい方法があることは分かっていたのに」という後悔はしなくて済みます。常に全力を尽くして、出た結果を受け止める、いい結果が出たらよし、良くない結果だったとしても反省し、その原因を分析して次につなげていきます。全力を尽くさないで失敗すると後悔します。また全力を尽くすとその時点での自分の限界を知ることができます、全力を尽くすからこそ失敗した時に全力で反省することができ、次につながります。そうして自分の限界に挑んでいると、気が付いたらその限界を超えて成長していることを実感する時があります。大人になって障害が発覚した私は自分が人に比べて成長が絶望的に遅れていることを自覚しました。人に追いつくためには常に自分の限界に挑みつづける努力をしていかなければならないと思ったのです。

人に嫌われたらどうしようという不安を乗り越えるには、自分が最善を尽くしてなお嫌ってくる人がいたら、そちらの方に問題があるのではないかと開き直ることも必要です。万人に愛される人なんていないです。100人の知人がいたとして、50人の人に好かれていると捉えるか、50人の人に好かれていないと捉えるかは心の持ちようです。50人の人に好かれていなかったとしても50人の好いてくれる人を大事にすればいいだけの話です。

自分の経験談ではありますが、心の病で苦しんでいらっしゃる方に参考になれば嬉しいです。

 

被害妄想・加害妄想を乗り越えるには

  • 不安を感じたら人に聞く
  • 人の評価を気にしない

最善を尽くすメリット

  • 失敗しても後悔することがない→出た結果を受け止めて、次に生かす。
  • 現時点での自分の限界が分かる→限界を超えて成長できる時が来る