自閉症の人が自分の枠を拡げていくには

僕は、自閉症スペクトラムで大学院在籍中に行き詰ってうつ病で入院し、障がい者雇用からの再チャレンジで10年かけて正社員登用を勝ち取った人間です。この記事では自閉症で苦しんだ過去の自分の振り返りと、自分の枠を拡げていくために必要なことの結論のみを提示しています。具体的にどうするという話はまた後日記事にする予定です。その記事に向けての序論になりますので、この記事単体だけでは有意義な情報は少ないと思います。

自閉症スペクトラムの人というのは、遺伝的な要因と環境的な要因でそうなると言われています。こだわりが強く、興味の対象が少なかったりします。社会で生きていくためにはある程度の世界の広さ、自分の枠の広さが必要になります、というか必要になってきているのです。1980年代くらいまでは、たとえば電車の切符を切るとか、何かの工芸品を作るだけ、というようないわゆる職人と言われるような、今では機械化されていて仕事にならないような仕事があり、生きる世界が狭くても生活していくことはできたのです。ですが今の社会では、コミュニケーションスキルであったり、仕事であればパソコンでソフトウェアを使いこなす必要があったり、英語のスキルが必要になったりと生きていくために求められる能力が幅広くなっています(家電製品の進歩で家事に求められるスキルが低下していたりもしますが)。そうした能力を身につけるためには、外の世界に興味を持ち、色々なことを経験することが大事になりますが、自閉傾向がある人だと意識が内に向いていて興味の対象が少なくなりがちで、結果的に能力が高まらず、どこかの段階で能力が足りずにドロップアウトしてしまう確率が高いのです。もちろん興味やこだわりの強さが幸いして能力を発揮し、成功する人も一部ではいますし、そうした天才が人類を進歩させてきた側面はありますが、そうした例は少ないです。

自閉症の人の世界の狭さを説明するために僕を例に出します。僕は小さいころは、ジグソーパズルを延々とやっていました。ジグソーパズルの絵柄に飽きると裏返して絵柄を見ずに完成させるといった遊びをしていました。他にも新聞の折り込みチラシの白紙の裏面に非常に細かい迷路を延々と描いていたそうです。小学校時代以降大学時代までは、ロールプレイングゲームばかりに熱中していました。学校・部活・ゲームのみという非常に狭い興味の世界の中で生きていました。ただ、学校の成績、正確に言うとテストで点を取る能力だけは高かったので自分には能力があるのだと勘違いしていました。

自分が勘違いしていたことに気づいたのは25歳の時、例えるなら自分の家の庭が世界のすべてだと思っていたのに、突然世界の広がりのすべてが見えるようになったような感覚です。こんなにも広い世界を生きていかなければならないのか、自分にはとても生きていく力はないというとてつもない衝撃を受けたのを覚えています。大学の研究室で私の状態が悪化して、恩師が実家まで車で送ってくださった時の場面を覚えています。先生が車を運転中に「あそこに白い花が咲いているけれど何かわかるか」というような質問をされました。僕は「わかりません」と答えました。「あれはユキヤナギというんだよ」と先生。僕は「そんなことも知らずに生きてきたのか」とショックを受けました。ユキヤナギというのは自分の実家に植えてあった植物で、その名前すら知らないくらい外の世界に興味を持っていなかったのです。他にも母は、私が風呂に入ると洗面所にバスタオルを用意してくれていました。世界の広さを自覚する前は、それが普通だと思っていたのですが、自覚した後は自分が一人前に生きていたつもりだったのに母親の助けがないと生きていけない人間なのだとショックを受けました。何を見ても何をしても自分の生きる力のなさにショックを受けるばかりで、結局精神病院に1年半入院することになったのです。僕の場合のように大人になってから自分の世界の狭さに気づくことは非常に危険です。これまでの自分のものの見方がいかに間違っていたかを突き付けられ、場合によっては自殺してしまうこともあるかもしれません。

社会で生きていくためにはある程度の世界の広さ、自分の枠の広さが必要になります。自分の枠を広げていく努力が必要になってくるのですが、それは精神的にかなり辛いものです。狭い枠の中で生きていると、その中では自分は立派な人間だと思えるかもしれません。ですが自分の枠を広げていくと、その都度に自分のできない点・短所があらわれてきます。自分がいかに無能な人間かということを痛感し続けながら、それでも自分の人生を良くするためにはこの方法しかないと信じて枠を広げる努力を続ける強い心の力が必要になってきます。

では自分の枠を拡げるにはどうしたらいいか?それは人に拡げてもらうのが一番です。自分と話が合う人とだけつきあうのではなく、それ以外の自分の枠の外にいる人と出会うことです。他の人が面白いと思うことを一緒にやってみるとかでもいいのです。ただ、それをできるようになるためには、越えなければならない課題があります。それは

一緒にいる相手を不快にさせない人になり、さらには一緒にいて居心地のいい人になること

です。難しいことだとは思います、特にいじめなどを受けてドロップアウトしたような場合は、自分の存在が悪いもののように感じられてしまいます。自己肯定感が低い状態では人が怖くて仕方なくなります。悪い方に悪い方に考えてしまうのです。そうした負の感情を克服し、自分を肯定できるようになれば、相手を肯定できるようになり、結果人から受け入れられるようになります。そうしたプラスのスパイラルに入ることができると、自己肯定感が高まっていき、人の輪の中に入っていくことができるようになると思います。学校生活でドロップアウトしたような場合は、逆に大人たちの輪の中に入っていってもいいと思います。若くて未熟でも受け入れてかわいがってくれたり、いろいろなことを教えてくれるような人がいる場がきっとどこかにあると思います。そうした場を探して試行錯誤してほしいです。